芸能人には自前のグッズを製造・販売されている方が大勢いらっしゃいます。
人気の芸能人グッズともなると受注開始→即完売ということも珍しくないとか。
一方で、ほとんど売れず大量の在庫を抱えてしまったというケースも聞きます。
この“グッズ売れ残り芸人”として、「この人を抜きには語れない!」という伝説のグッズ売れ残り芸人さんを、みなさんはご存知でしょうか?
“グッズ売れ残り”エピソードとして筆者が真っ先に思い浮かべるのは、やはり、何と言っても、間寛平さんの“アメマバッジ”です!(笑)
筆者もリアルタイムでアメマバッジ関連の話を知っていたわけではないんですが、おそらく30年近く前にTVで見て爆笑した記憶があります(笑)
で、そういえばアメマバッジについて詳しくは知らなかったな~と気付いたので、アメマバッジとそれにまつわるエピソードをちょっと調べてみました!
アメマバッジとは!?
1985年10月~1987年9月に関西テレビで放送されたバラエティ番組『今夜はねむれナイト』にて誕生したキャラクター「アメママン」をあしらったバッジです。
画像引用元:https://aucfan.com/
間寛平さんがアメママンの声を担当したところ人気が爆発。
「グッズを出せば儲かる」という話に乗って、本来ならばグッズ制作はテレビ局などが行うところを寛平さんが個人で業者に発注し10万個ものアメマバッジを制作!
しかし、そのすぐ後に番組が終了。
同時にアメママン人気も急降下し、売れなかったバッジと多額の借金が寛平さんのもとに残った…ということです。
うーん、この80年代感あふれるパッケージが(笑)
そしてお値段1500円…高っ!
なんでも原価は700円弱だったらしいですが、売値1500円はちょっと盛り過ぎじゃね!?と感じてしまいますね(笑)
現代とは物価も価値観も違う時代の商品ではありますけど、それにしても高過ぎだと思います、このお値段は(笑)
元来のお人好しな性格に無知も加わって、他人の借金の連帯保証人にされまくり多額の借金を負っていた寛平さん。
そこにアメマバッジでの借金も加わって、その額なんと6000万円にも上ったそうな!
爆笑!アメマ裁判www
10万個ものアメマバッジ制作を依頼した業者への費用が払えず訴えられ裁判となってしまった寛平さん。
この通称「アメマ裁判」でも伝説を残します(笑)
この裁判の口頭尋問において、
こんな、完全にコントみたいなやり取りを大真面目に何度も繰り返していたとか(笑)
もう法廷内は大爆笑!!(笑)
過去に類を見ない爆笑裁判として、今も語り草になっているそうです(笑)
ちなみに寛平さん。
1995年に、この6000万円の借金を完済してほっと一息ついた数日後、かの阪神淡路大震災が発生。
兵庫県宝塚市に建てたばかりのマイホームが被災し、その再建費用などのために再び債務を負うハメになってしまったそうです…。
うーん、これはさすがに笑えないですよね…。
まとめ
最強の“グッズ売れ残り芸人”といっても過言ではない、間寛平さんの『アメマバッジ』についてお伝えしてきました!
失礼ながら一目見て「こりゃ売れんやろ」と思ってしまうパッケージ。
商品の内容的にも1500円の価値を見出すのは難しそうで、売れ残るべくして売れ残ったグッズと言ってもいいかもしれないですよね(笑)
まあ個人的にはこういったシュールなものって嫌いじゃないんですけどね(笑)
ともあれ間寛平さん、このアメマバッジが売れ残ったことによる多額の借金や裁判のエピソードが面白すぎます!
筆者がこのアメマバッジの話を初めて聞いたのはおそらく90年代初頭の『明石家電視台』で、だったと思います。
今も変わらぬさんまさんのしゃべり、寛平さんの一発ギャグに村上ショージさんのスベリ芸(笑)、そして画家になる前の芸人・ジミー大西!という強烈な面々でしたね。
最近は寛平さんも昔ほどTVで見かけなくなりましたが、また昔のようなキレッキレの芸人・間寛平の姿をぜひ見せて頂きたいものです!
「ア~~メマ!」だけでなく「かい~の」とか「血ぃ吸うたろか!」などなど(笑)
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